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2009'11.07 (Sat)

鳩の街の原風景

元を正せば一帯は沼地であったのかもしれません。それが隅田川の度重なる氾濫で大量の土砂が流れ込み、徐々に田畑耕作に適した大地が形成されていったようです。

そうして農民が棲みつくと同時に、沼から浮き出た地帯には植木職人などが居を構え出し、向島百花園であるとか、今は隅田公園になっている水戸藩など隅田川沿いに連なっていた各藩下屋敷の庭つくりや手入れに腕を振るい、そこで磨いた技をさらに江戸の豪商たちの庭園つくりに振り向けることで、江戸の庭園文化が形成されたとする見方もあるようです。

そして、庭つくりには植木屋さんと共に石屋さんも欠かせません。

鳩の街には戦前から戦中、戦後を通して石置き場がいたるところに点在していたそうですが、植木屋さんはどちらかといえば向島に住み、石屋さんは東向島に多かったようです。

現在、鳩の街の崎山質店の前が青空駐車場になっていますが、あそこも元は石置き場で、赤線時代も大きな石が山積だったそうです。隣接するはとホットまでが石置き場になっていて、遊び場の乏しかった戦後、石置き場は子供達の格好の遊戯の場となっていたそうです。

質屋さんはどこも蔵の周りに竹が植えられていたりして風情あるしつらえの家が多いものですが、崎山さんの庭はとりわけ見事な感じを受けます。もしかすると植木屋さんや石屋さんとなんらかの関係があるのかもしれません。


元は薬局だったこぐまの築年を見ると昭和2年(1927年)になっています。鳩の街も大正あたりまでは民家の間に石がゴロゴロ状態で、昭和に入ってから徐々に商店街らしきものが形成され、戦中は空襲を受けなかったことから、疎開で生じた空家が玉の井を焼け出された業者の目にとまり、戦後は米軍の慰安所として赤線指定を受けるに至り、カフェー街が流行り出した後は、石置き場に新たに娼家を建てる店も出始め、現在見るような入り組んだ町並みが形成されて行ったのでしょうか。

また赤線時代、お姐さんたちを診るために作った病院の場所も、元は大きな石置き場だったようです。夏の火事で燃えた家もすべて地主は奥の石屋さんです。

こうしてみると、鳩の街と石屋さん、石置き場は切っても切れない関係です。

田んぼの中の沼から浮かんだ場所に、庭仕事のために集めた石を最初に置いて、家を建てた石職人が鳩の街の起源を作ったとも言えそうですが、まさか石屋さんもそこが後年一夜限りの夢の街、擬似恋愛を繰り広げるためのカフェー街に変わろうとは、それこそ夢にも思わなかったでしょうね。

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2009'11.01 (Sun)

町の情報収集

毎日歩いている町の情報は、自然に目にしたり手にしたりして得たものがほとんどで、あえて意識的に収集する気にはほとんどならなかったりします。

そんなわけで、ちょうど一年くらい前に発売された”散歩の達人”(だったと思います)というようなタイトルの雑誌で、曳舟、押上、向島が特集され、本屋の店先に並び出しても、一向手にする気になれませんでした。

ところが地元の本屋では、一年経ってもこの雑誌を店先の一番目に付くところに平積にしているため、余程人気があるのかなと思い、興味本位に中を開いて驚きました。開けてすぐ鳩の街の赤線建築が”色街建築”として紹介されていたからです。

そして、雑誌に載っている写真は、偶然にもつい最近東向島の駅で手にした、”墨東まち見世2009”のパンフであったかポスターだったかに使ってあった写真そのものであり、八広で開かれているというその写真展は会期中一度は見に行きたいなと思っていた矢先であったので、ついこの雑誌を全部立ち読みしてしまいました。

記事を読んで驚いたのは、鳩の街で先代が売春宿を何軒も経営していたというおじさんが登場し、先代が鳩の街にまつわる有名人多数の世話をしていたという話です。その縁で吉行さんの「原色の街」にも出て来るそうです。また、吉行さん以外にも遊興費を工面してあげたビッグネームの並んだ借用書は今もとってあるんだとか・・・

吉行さんは「原色の街」執筆のために費やした授業料を印税で返していたんでしょうか・・・・・

それよりも、世話をしていたということは、そのおじさんのオヤジさんが経営していた店が”ヴィナス”のモデルになるのでしょうか????

おじさんは雑誌に顔出し、名前出しして現在も鳩の街近くで印刷屋さんをしていますので、おじさんに話を聞きに行けば全容解明ですね。


街を歩いてネットで調べても容易に分からずにいたことが、あるいはおいそれと探ってはいけないと思われていたことが、なんのことはなく綺麗に装丁された一般誌に載せられ、しかも一年以上誰もが手に取れる場所に置かれ続けていたわけです。

知らないということは恐ろしいことです。いろいろと考えさせられました。

 |  東向島界隈  |  TB(0)  |  CM(6)  |  EDIT  |  Top↑

2009'10.28 (Wed)

タワーは出来ても・・・

毎日言問小学校の脇の道を通る時に見上げるスカイツリーの工事現場ですが、ビル越しに見える先端部が徐々に丸味を帯びて来ました。地上では三角形をした平面が上に伸びるに連れて円形になり、最初の展望台を載せ終わるとさらに上に伸び、小さな展望台を設けた後にアンテナを付けると目出度くタワーとして完成を迎えるということのようです。

そうして押上にタワーが出来上がれば、曳舟は近いだけにテレビが一段とよく見えるようになるので好ましいことだと今までは無条件に思っていました。ところが最近自宅のポストに入り出したチラシによれば、私の家のテレビは11年7月にデジタルに切り替わると受信が出来なくなるのだそうです。その後スカイツリーが完成しても見えないと言うのだから驚きました。


隅田川に出て桜橋を渡る際、ビルの隙間から東京タワーが顔を見せます。あれだけ離れていて、しかも途中に大きなビルが増え出しても、アナログなら申し分なく見れるテレビが、デジタルになると映らなくなるというのではいかにも間尺に合わない話です。

橋を渡ると見るともなしに工事中のスカイツリーが目に入ってきます。新しいタワーが電波塔としての効能を遺憾なく発揮してくれるものと信じて疑わなかった以前は、建設プロセスを眺めながら、大きいことはいいことだと思っていましたが、今では「お前さん、いったい何のために立っているんだい?」と首を傾げつつ川岸の遊歩道を歩いています。

すると「立ちたくて立っているわけではない」という声が心なしか返ってくるようになりました。

「そうだろうなぁ。隅田川の景観は、タワーがなくても十分にいい。むしろ、これ以上でかくなられるとかえって調和が乱される」と、私は考えるようになっています。

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