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2012'04.25 (Wed)

ハナミズキ

季節がよくなってきたので早起きをして、最寄り駅を押上から浅草に変更したり、電車に乗らないで歩いて都心まで通ったりしています。

墨田から都心まで歩くとさすがに足は疲れますが、途中広告と一緒にティッシュだのシャンプーだのいろいろなものがもらえるので、たまにはいいんじゃないでしょうか。

改めて墨田はそんなことが出来てしまうロケーションなのだと再確認できます。


吾妻橋を渡るので久しぶりに隅田川に出ましたが、スカイツリー観光熱はすごいものがあります。

押上からの距離が変わらない錦糸町ではさほど盛り上がった感じはしませんが、浅草の方は力の入れ方が違うようです。

吾妻橋のあたりでは朝からカメラを持った人をたくさん見かけます。

誰でも絵葉書みたいな写真が撮れてしまうのが今の墨田です。

吾妻橋を渡って台東区に入るのが惜しくなってしまうような気分になります。

観光客さんの流れだけを見ていると、中心が都心から墨田に移ってしまった感じです。

こういうことは今だけで、長くは続かないでしょうが、今だけにしてもこういうのは気分がいいですね。

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墨田に戻ると、露伴公園の紅白2本のハナミズキが見ごろでした。

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2012'04.15 (Sun)

振替輸送

先週の木曜日だったでしょうか、いつもは半蔵門線に乗るため押上まで歩くのですが、家を出るのが遅れてしまったので、最寄の曳舟から東武に乗ろうと駅に急ぐと、梅島で起きた人身事故の影響で、久喜・浅草間が運転見合わせになっていました。

それではと駅員から振替切符をもらい、京成曳舟に廻りました。

こういうとき、都心に出るルートに選択肢のある曳舟は、本当に便利だと思います。

それで何十年かぶりに京成曳舟を使ったのですが、一瞬にして昔が思い出されました。

東向島側から上りホームにアプローチしようとすると、踏切が開かないのです!

京成を利用するのは、いつも寝坊をしていた高校生のときくらいで、それ以降はほとんど使いませんから、あの踏切のことはすっかり忘れていました。

京島側から都心に向かう際には何の問題もない踏切が、東向島側からだととんでもない踏切になります。

明治通りの踏切では、遮断機をくぐって電車にはねられた人が何人も出ているはずです。

相変わらず今回も簡単に開かない踏切にじりじりしながら、一向に出来上がらない高架工事を見ていると、何か気が遠くなって来ました。

東武がこのあたりを高架にしたのは40年以上前だというのに、京成は一体何をしていたんだろうかという感じです。

過去形ではなくいまだに平面交差で、歩道橋もトンネルも作らないまま、いつ完成するのかさっぱりわからない高架工事に突入したという感じでしょうか。

振替輸送で押上まで迂回させてもらいながらも、何か嫌な昔を思い出してしまったのですが、京成に見切りをつけている私は振替輸送のときくらいしかあの踏切に足踏みさせられることはありません。

しかし、あの駅を最寄り駅にしている人にとっては、嫌な昔が現在も続いているのかと思うと、なんだかなぁと言う感じです。

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2012'04.08 (Sun)

墨東近傍のさくら

風が桜の花びらを散らす 春がそれだけ弱まって来る ひとひらひとひら舞い落ちるたびに・・・・・
詩人の吉野弘さんが詠う季節がやってきました。

最近よく歩く、荒川から堀切菖蒲園、柳原、千住曙町の開花風景です。

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四つ木橋から見た荒川 昔の葦の原だった頃の面影を多少見ることが出来ます

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堀切菖蒲園 桜は数本ですが、野で見るような風情が味わえます

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桜祭りが行われていた柳原のさくら通りこと疎開道路

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さくら中学(旧足立二中)


墨東と言うと普通は隅田川の東側を呼び、何年か前から催されるようになった、墨東街見世的には墨田、八広を含んだ荒川の西側までを墨東と定義付けています。

個人的にも街見世的とらえ方に違和感はないのですが、さらに付け加えると、荒川の東側も墨東の一部と見ていいのではないかという感じです。


というより、タワーの出現で隅田川の景観が変えられてしまってからは、もっぱら荒川散策に切り替えていますから、足は自然墨田の外に出向いてしまうきらいがあります。

すると、昔の墨東らしさが、むしろ葛飾や足立の路地や商店街に見出されたりします。


今から10年位前、NHKアーカイブスで新日本紀行のような番組が放映されたことがあります。

ドキュメンタリーが主の番組としては異例の企画番組で、東京オリンピック前夜の変わり行く東京の街の様子を、記憶喪失の少女が建設技術者であった父親を探しながら各地の建設現場を訪ね歩くプロセスで、東海道新幹線、首都高1号線、東京モノレール、ホテルニューオータニといった、時代を象徴するような建設シーンを織り交ぜて都心部の現状を伝える、なかなか見せる企画でした。

朝から歩き始めて、結局都心部では父親に会えないのですが、少女の足は普段行かない東京東部へ向かうことになると、何故か西陽が傾き出した四つ木橋を渡るシーンとなり、今と違いグラウンドが整備されていない一面葦の原の荒川の河川敷が映し出され、同じ東京でもまったく開発されていないこういう場所も東京にはあるのだというナレーションが入りだして、最後に地蔵坂の魚大さんに割烹着に買い物籠を下げたおばちゃん達が群がる光景でエンディングでした。

番組を担当していたアナウンサーの加賀美さんが、見終えた感想として、外国からの観光客を迎え入れるために急速に変わるフォーマルな都心部に対し、下町の描写は生き生きとした生活感に富んでいて、今見てもほっとさせるものがある、みたいな事を述べていました。


都心と下町の対置というのは今もあるわけですが、下町の中で、タワーによる外からの観光客誘致にばかり張り切りすぎると、地元の人間は離れてしまうこともあるんじゃないかという気がしなくもありません。

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