東武曳舟駅北口

DSCF4844.jpg

東武線高架下のカフェ。この季節は仕切りが開放され、カフェテラスと店内席が一体化され気持ちがいい。

DSCF4839.jpg

東武線に沿った曳舟駅北口のフラワー店。日によっては随分遅くまでお店を開けています。

DSCF4841.jpg

コンビニが撤退した後はすぐ100円ショップがオープンしました。最近では珍しくない入れ替え劇ですが、駅前にも100円ショップがあるのが曳舟の気安さです。2階は曳舟では数少ない漫画喫茶。


今日何気に北口のちよだ寿司に沿った路地を入り、すぐそばの銭湯の前を通ったとき、男湯の戸が開いた瞬間脱衣場だけでなく、洗い場まで見渡せたには驚きました^^
さすがに女湯の方はそういうことはないと思いますが、いくら男湯でも駅前で、当然ですが何人もの人が全裸でいるのを見ると不思議な気持ちになりますね。
今日は65歳以上の高齢者入浴特待日なので混んでいたようです。

いろは通り南端

DSCF4722.jpg

玩具の須藤さん。旧玉の井の許可地ぎりぎりか外れるくらいの位置ですが、娼館だったといっても通るくらいの異貌が漂って来ます。

DSCF4822.jpg

須藤さんの隣には以前スミノさんという呉服店のような洋品店がありましたが、マンションに建て替わりました。

DSCF4820.jpg

角にコインパークのある辻を北に入るいろは通りと鐘ヶ淵通りをつなぐ道筋の酒屋さん。コインパークの場所にはだいぶ前コンビニがありました。

DSCF4824.jpg

いろは通りの南端からさらに鐘ヶ淵通りを渡った先にある中華屋さんです。この店は浅草にあった「来集軒」から暖簾分けされた四軒のうちの一軒です。浅草の本家はすでにありません。場所は外れですが、味は確かです。東向島では一番のお店かもしれません。

墨東綺譚を歩く

永井荷風の最高傑作「墨東綺譚」を新潮文庫で読んでみました。文庫はどれも同じだと思いきや、新潮文庫版には挿絵が皆無でした。同じ文庫でも岩波だと木村荘八による挿絵が全て復刻されているようです。

何故挿絵かというと、ヒロインお雪の家の位置が旧玉の井のどのあたりかはおおよそ見当が付いても、確信は持てないため、挿絵に手掛かりはないだろうかと思ったわけです。もっとも、先達のブログ等を拝見すると、挿絵からもお雪の家を見つけることは難しいようです。

それでも荷風の文章からあるところまでは行き着きます。どぶの小橋です。(もちろんどぶはすでに暗渠になっていますから小橋も存在しません)。小橋の位置は大正道路を挟んで玉の井館のほぼ対面、ちょっと前まで砂利交じりの未舗装路(路地)だったあたりと推定出来ます。あとはその橋からどぶを西に沿うか東に沿うかです。

荷風はお雪の家の在り処を旧玉の井の西北の一隅と書いています。また東武鉄道玉の井停車場(現:東向島駅)を旧玉の井の西南と位置付けてもいます。この対比からすると、小橋を渡ったあとは旧玉の井のエッジ部分、つまり、現在の東武線のガード方向にどぶを伝ったと考えるのが自然ではないでしょうか。

すると現在の東洋堂洋品店、毎日新聞配達所、柏木医院裏の住宅が建て込んだあたりが想定されるように思えるのですが、どうでしょうか?さらにはもっと奥の八百屋さんの裏あたりかもしれません。

いずれにしても、現地にはどぶも残っていなければ、どぶの跡と思われるような路地も走っていません。大正期に田園を埋め立て、新開の一大歓楽街として作り出された玉の井は、空襲によって地上から消えてしまったのです。

かつて間違えなく存在していたお雪の家も、出逢った辻も、痕跡一つ残さず町ごと消し去るというのは、カタストロフというより、ミステリーですらあると感じてしまいました。そのくらい今の東向島5丁目の町並みは、一言でいえば平板です。荷風が短編小説で描き出した町の風情、息遣いを、現在の町並みから感じ取るのは難しいことです。

ただそれでも現地を巡り感じたのは、今ある空間は70年前の玉の井とはかけ離れたものであっても、確かに「お雪」のモデルになる女がかつてこの”場”に棲息していて、他にも荷風の接した誰彼がいて、それで出来上がったのが「墨東綺譚」の中の「お雪」だったのだなぁという、感慨のようなものは湧いてきました。現地を訪ねても、すでに往時の空間はないわけですから、東向島の中のここにしか存在しない”場”だけをよすがに歩くという以外に何も出来ません。

つまり、今の旧玉の井で撮れる写真は、戦後再構築されたものばかりで、「墨東綺譚」とは何の関係もないものばかりです。その被写体自体に意味はありませんが、その”場”が現在どうなっているのかを、現地案内的に最新の情報でお届けするのは、多少意味があるかなと思い、撮って来た写真を載せておくことにしました。

現地を歩く中で、土地の人からはこんな話を聞きました。旧玉の井を焼け出され、戦後の赤線地区(旧玉の井北側)で店を出した人達の中には、戦前私娼として働いていた女性も少なからず混ざっているのだそうです。たとえば赤線建築を取り上げた写真集に出てくる建物(そしてかなりの土地)を所有されていた方は、「墨東綺譚」映画化に際して、主演の山本富士子からじきじきに挨拶を受けたそうです。いつぞや高齢で亡くなられたということですが、土地のいわゆる堅気の人たちが、その女性のことを終始さん付けで語っていたことは深く印象に残りました。荷風の言を借りれば、「この境遇から得た経験を資本にして、どうにか身の振方をつけようと考えているだけの元気もあれば才智もあるらしい」女性、つまり特定の「お雪」ではなく、たくさんの「お雪」がこの地に存在していたから、荷風は玉の井に思い入れを込めることが出来、名作「墨東綺譚」を生み出せたのではないでしょうか。

最後に、現地案内ついでに言いますと、この町の見学をするなら、日中あらかたを歩いておき、日が落ちてから改めて路地を含め荷風が歩いたコースを辿ってみると、多少は小説の気分が味わえるかもしれません。これからは季節がよいので、宵の散策も気持ちがいいものですね。この町は日が暮れると店のシャッターのほとんどが下ります。車もさほど走ることはないでしょう。大正道路はともかく、賑本通りなどはほとんどクルマも来ません。まして路地に入れば猫くらいしか歩いていません。

「わたくし」が大正道路(いろは通り)で開かれる玉の井稲荷の縁日の日に、常夏の花一鉢を提げながら中島湯前(マンション)の道を通り、九州亭(民家)の角から賑本通りに右折し、「お雪」が「わたくし」の傘の下に駆け込んで来た路地口をやり過ごし、公衆電話が路地口に立つ路地を入り、奥まった路地の四辻を左に折れ、道なり大正道路(いろは通り)と並行して進み、脱毛気味の猫が足元に寄って来る路地(医院と八百屋の間の路地)を大正道路に出る際、右側の民家のあたりをちらりと見れば、おそらくそこが「お雪」の家があったあたりになるでしょう。

DSCF4825.jpg

現在の賑本通り。

DSCF4826.jpg

賑本通りのポストの立つ路地口タバコ屋前で「わたくし」の傘に「お雪」が駆け込んで来た出逢いの路地口。現在はポストもタバコ屋もありません。

DSCF4827.jpg

この路地を入ると大正道路の馬肉屋角に出ます。

DSCF4737.jpg
出逢いの路地口から30メートルほど先の路地口。この路地を先に「お雪」が入り、「わたくし」が一歩後れてついていきました。

DSCF4739.jpg

その路地口前から改正道路(水戸街道)方向を見ています。

DSCF4830.jpg

路地の大正道路方向を見ています。

DSCF4740.jpg

路地は大正道路(いろは通り)に向かうにつれ狭くなります。正面の明るいところが表通りです。

DSCF4743.jpg

路地の四辻を玉の井西北(東武の線路がある方)に向かいます。この路地はどぶの跡だと思われます。

DSCF4747.jpg

大正道路。このあたりの裏に「お雪」の家があったのではと推定されます。

DSCF4755.jpg

道幅が若干狭くなるあたりに、京成バス車庫裏の小橋がかかっていたと思われます。

DSCF4758.jpg

京成バスの車庫脇(どぶにかかる小橋を越えたあたり)から大正道路越しに玉の井館を見る。

DSCF4767.jpg

玉の井館の側壁はパネルで覆われながらも木の柱が露出しています。正面の三階建は平和堂という写真屋さんで、荷風の手書き地図にも記載されています。
※現在のスーパーが玉の井文映時代の建物を改装して利用していることは確認できましたが、玉の井文映が寄席小屋時代の玉の井館を潰さず利用したものなのかどうかの確認はまだ取れていません。

DSCF4770.jpg

願満稲荷の赤鳥居。

DSCF4777.jpg

願満稲荷の観音様。

DSCF4776.jpg

身延山啓運閣・願満稲荷に掲げられた今月の聖語。

DSCF4760.jpg

角に馬肉屋のある大正道路の四辻。現在の大越さんは馬肉屋ではなく普通の肉屋です。この店も家風の手書き地図に記載されています。

DSCF4762.jpg

大正道路から馬肉屋の向側路地を入ったところにある東清寺、玉の井稲荷。
※この寺は戦後の赤線地区の中にあります。

DSCF4730.jpg

「中島湯という暖簾を下げた先頭の前」・・・・・・玄関の前をどぶが流れていたという中島湯はすでに廃業、現在はライオンズマンションとなりました。
※先頭と銭湯がどう違うのか今のところよく分かりません。またこの通りが旧玉の井の東のエッジになっていたようでした。

DSCF4734.jpg

「九州亭というネオンサインを高く輝かしている支那飯屋の前まで来ると、改正道路を走る自動車の灯が見え蓄音機の音が聞こえる」・・・・・九州亭は現在左に見える民家です。正面に水戸街道が見えます。

DSCF4784.jpg

「線路の左右に樹木の鬱然と生茂った広大な別荘」の大谷石積の塀は、空襲にも耐え旧玉の井地区に残る数少ない貴重な遺構です。

DSCF4797.jpg

京成電車の玉の井停車場跡・・・・・・土手を築き鉄橋を架け、当時地面を走っていた東武鉄道をここでまたぎました。停車場は石垣の上に設けられ、駅舎撤去後残った石垣は城郭跡のように荷風の目には映ったようです。

DSCF4804.jpg

昭和病院(向島保健センター)・・・・・・「お雪」が歯痛で駆け込む歯医者は検査場近くにありました。お雪の家からこのあたりまで、路地を駆け足に5分程度でしょうか。

DSCF4833.jpg

賑本通りから大正道路、東武鉄道を見ています。この見え方は旧玉の井時代と変わっていないと思われます。変わったのは東武線が高架になったことくらいです。

DSCF4835.jpg

賑本通りと大正道路角の吉田ふとん店。

DSCF4837.jpg

吉田ふとん店奥の吉田金物のあった場所は現在空地です。空地の隣の建物が自転車預かり所。
この空き地の建物よりがどぶとどぶに沿った路地です。「わたくし」が「お雪」の家に通うときにいつも入った路地です。汚い幟の立っていた伏見稲荷は現在の魚料理屋さんのあたりでしょうか。今はどぶも路地もありません。

DSCF4816.jpg

ポプラの立ち並ぶ表通りで乗合バスを三、四台見送った(水戸街道)。


墨東綺譚航空写真 荷風の手書き地図を参考に、小説の中の記述を突き合わせ、現在の地形からどぶの経路、そしてお雪の家を推定し、プロットしてみました。

永井荷風手書きの地図 戦前の旧玉の井地区にあった商店などが書き込まれています。戦後も同位置で商売を営むお店がいくつかあります。図自体はかなりスケールアウトしたものですが、当時を知る貴重な資料となっています。